宮城県より戻りました。
2011年4月22日(金)
本日、宮城県より東京へ戻りました。
弊社オリジナルの専門誌 「SORA」 をご購入いただいた皆様、売上金は被災地への義援金とさせていただきます。
ご協力いただきましたこと、心より感謝申し上げます。
少々長い内容になってしまいますが、現地での報告を致します。
私は、4月の初旬にモルディブから戻り、そのまま実家のある宮城県へ向かいました。
実家は、ギリギリのところで津波の被害を免れたものの、中は半壊に近く、住める状況ではありません。
さいわい、親が仙台市内にマンションを借りており、そこから実家の片付けに通うことができました。
実際に友人や知人のいる避難所へ行ってみると、テレビで伝えられているより環境は悪く、ここに長く住むことは、被災し続けることだと感じました。
具体的に、とくに良くないのは、治安と衛生面です。
知人に、「何か欲しいものは?」と尋ねても、
「欲しいものがあるのは、家がある人だけだ。」
という返事がきました。
現在は物資も届き、いろいろな物が手に入るようになりましたが、それでも避難所での物の盗難はなくならないようです。
夜、電気がほとんど点かないエリアでは、女性は夜出かけることを控えています。
家族や大切な人を失った人、 家族全員を失った人、 家を失った人、 津波に飲まれなんとか助かった人、 冷たい土の中で、目の前で消えていく多くの命を見守ることしか出来なかった人、 1週間瓦礫の中で行きぬいた人、、、、
一度絶望を経験した人の心の闇は、恐ろしく深いです。
そういった人たちと、他県から手伝いに来てくれているボランティアの人たちとは、場合によって大きな温度差があります。
気軽に、「頑張ろう!」 と声をかけて、殴られているボランティアの方を何人か見ました。
まだまだ 「復興」 のスタート地点にも立てない人たちが、避難所には溢れています。
家も、仕事も失い、守るべき家族もいなくなってしまった人たちの中には、もはや復興にすら興味を失ってしまっている人もいます。
ガスの戻った居酒屋に連れ出すと、
「昔に戻ったみたい」
「外に出ると、実は全てが元通りになってるんじゃないか」
と、一瞬だけ明るい表情を見せる友人もいました。
以前と同じである、ということが、一瞬だけでも今は幸せだったりします。
そういう友人に、「前を向こう」 なんて、やはり今はまだ言えません。
自粛なんて言わず、以前のように花見をしたり、酒を飲んだりすればいいと心から思っています。
生きていることを楽しんでほしいと思っています。
仕事がある人たちは、がむしゃらに働いたりしています。
がむしゃらに仮設住宅を作っています。
今までの、2,5倍の速さで、仮設住宅を作らされていますが、全然足りません。
自衛隊の数も、医療機器や、ドクターも足りません。
そしてやはり、家と仕事、現金が必要です。
友人や知人の命を奪った津波、そして自然の力を忌々しく思いました。
漁港に住み、家を完全に流された親戚は、それでもまたあの海のそばに住みたい、同じ場所に家を建てたいと言います。
昔から海のそばに住み、海の脅威を知っている人たちの覚悟です。
「馬鹿だ」 という人もいるかもしれません。
「今度は山のほうに町を作ろう」 という人たちもいます。
「自然」 について、考えさせられましたが、人間が考えて答えが出せるような次元の相手ではありません。
ダイバーという職業柄、自然とは長く付き合ってきたつもりです。
明日からモルディブへ戻ります。
出来る限り多くのお客様に海の素晴らしさを伝えていくのが、私の仕事だと思っています。
地元宮城に戻り、今は自分が出来ることをしよう、と考えるようになりました。
私事ばかりになってしまいましたが、今後も機会がございましたら、宮城県の状況を報告していこうと思っております。